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友人を亡くして気が付いた、限りある人生の中で今日を大切に生きる考え方

田舎の自然豊かな景色の中でのびのびと一緒に育った幼なじみの友人が亡くなってから、もう20年の年月が流れました。

突然の交通事故でした。テレビで同じようなニュースを見ることは時々ありますね。

でもまさか自分の友人がそんな運命になるなんて、あまりにも突然のことでなかなか受け入れられませんでした。

社会人になって家庭を持っていることは知っていたのに、お互い忙しくてなかなか会っていませんでした。

そろそろ同窓会でもあるかなあ…元気でいるかなあ…頑張って仕事してるかなあ…と気にしていた頃だったので言葉にならないほどショックでした。

今日やるべきことを知る

「うそでしょ?最後に会った時も頑張ろうって言ってたでしょ!なんで!なんで!なんで!」

これがお通夜で冷たくなったあいつに投げかけた私の本心でした。

まだ若い友人がいなくなってまだまだ生きていくはずの私の考え方が変わっていった気がします。

若い頃は明日が来ることを当たり前に考えていました。

なので今日と言う1日をそこまできちんと受け止めていなかった気がします。

私たちは誰でも限りのある時間を生きているだけなんですよね。

でもそのことを忘れているからつい、やらなければいけないことも先延ばしにしてしまったり、

伝えなければいけない言葉も「今度言えばいいわ〜」と思ったりしてしまいますよね。

大切な今日という日にやるべきこと、やらなければならないことは自分にとって一体何かをいつも考えていたいですね。

私は当たり前のことなんですけど、ありがとうの言葉は必ずその時に言うように心がけています。感謝の言葉はその時に言ってこそちゃんと伝わるんだと思うし、うっかりして伝え忘れたくないですものね。

生きる意味

友人を亡くした寂しさの中で生きたくても生きられなかった彼の分も生きなきゃいけないって思ってきました。

生きていることって、それだけで価値があることだと思うんです。

なので、せっかく生まれて来たことをしっかり受けとめて毎日を過ごしていくだけだと思って今日まできました。

もし辛いことがあっても意味を考え過ぎずにやりたい事にどんどん向かって行くだけでいいと思うんです。

幸せになるために生きる

それでももし生きる意味を挙げるとしたら、生まれたからには幸せになるためだと思うんです。

自分の気持ちの持ち方で心に幸せをどんどん詰め込みましょう。

幸せになれる考え方に近づく努力は自分にしかできませんよね。

人生は長ければいいわけではない

最近でも忙しくしている中で、ふと先に逝ってしまった幼なじみの友人を思い出します。

そんな時には「私も人生の山や谷を越えながらけっこういい歳になっちゃったよ」って心の中で話しかけます。

友人が37歳の若さで人生を終えてから私は20年も生きて来ました。たまには病気もするけど、とりあえず生きています。

でも長く生きている私の方が短かった友人の人生よりもいい人生だとは決められないですよね。長さより中身が大事ですから。

限りのある人生だと自覚する

難病に侵されても最後まで明るく前向きに生きぬいた若い人のドキュメンタリーをテレビで観たことがあります。

人生が短くても最後まで諦めない強い心に感動しました。

若い命を失うことは残念です。それでも生きることと真っ直ぐ向き合うのが大切なんだと教えられました。

でも、どんな人生でもいつかは、必ず終わりを迎えます。

幸せな人も不幸せな人も、お金持ちも貧乏人も人生は一回きりと言うことは同じです。

それをいつも自覚することで人生の中身に違いが出て来ると思います。

ヤッピー
ヤッピー
誰だっていい人生にしたいよね〜

自分の人生の主役は自分

何かを決める時に人はどうなのか?をメチャメチャ気にする人がいますけどアレって何故なんでしょうね〜。

ほんの小さなことさえ自分で決められないで誰かと同じにせずにはいられないようです。

私は自分は自分でいいと思っている方なので、「えっ?」っと思ってしまいます。

自分のことは、自分がどうしたいのか?もしくはどっちが好きか?でどんどん決めて行けばいいと思うんです。

ヤッピー
ヤッピー
自分のために与えられた人生の主役は自分以外いないんですよ〜。

亡くなった友人の分も生きようと言う思い

友人が亡くなってから何かにつけ「あいつの分も生きるんだから頑張るしかない」

そう思ってきたことは、辛いことがあった時とかに自分を励ます方法だったんだと今になって思います。

生きたくても生きられなかった友人とくらべたら生きている自分は辛い経験さえできるんですから。

長い間私の心の中で支えになってくれていて幼なじみってそう言うものなんですね。

これからもきっとそれは変わらないと思います。

年齢を重ねてからの生き方

自分が思っていたより若い時に幼なじみをなくして人生の理不尽を思って悲しみました。

最近では「私の人生はどこまで行くのかなあ」なんて考えることも良くあります。

私は50代になった時に、人生の終わりに向かって生きて行く自覚みたいなものを持つようになりました。

終わりとか言うと「そんなこと言って〜まだ早いよ〜」なんてよく言われるんですけど、私は人生を自分らしく終わって行くための考え方を持っていきたいと思っているだけなんです。

もう歳だとか決して落ち込んでいるわけではないんですよ。

終わりに

50代の私の目標
  • 自分の気持ちを優先する。
  • やりたい事があったらなるべくやってみる。
  • 一人でも楽しめるようにする。

これからもたった一回の人生なので頑張るよ〜。

この記事が同年代の人にうなずいてもらえる部分があったら嬉しいです。


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